♪ハンドベル」との出会い 〜30年のあゆみを顧みて〜♪

長崎ハンドベルコミュニティー 初代会長 小國公子

 1975年のある日、活水中学・高等学校の音楽教師であった私のもとに、 1本のカセットテープが送られてきました。それは同僚の英語教諭伊藤(佐伯)淑子氏が 2年間の米国留学中に出席していた教会でのハンドベル演奏を録音したものでした。 クリスマス礼拝での讃美歌の演奏でしたが、はじめて耳にするハンドベルの音の 素晴らしさにすっかり魅了されていました。

 私にとって幻の楽器≠ニなったハンドベルは、いったいどんな楽器 なのかひと目見たい、という思いが募り、次はなんとか手にして奏することが できないものか、と夢が日に日にふくらんでいきました。

 1976年、意を決して活水中学・高等学校にハンドベルの導入を、と活水学院長及び中学・高等学校長へ願い出ました。3年後が活水学院創立百周年の記念日であることも幸いして、記念事業の一つとして購入しましょうとの快答を得て、夢のような思いでハンドベルを発注できることになったのでした。やっと待ちかねたマルマーク社の3オクターブのハンドベルが到着した時、生徒達と共に荷ほどきをして、ベルが顔を出した時の胸の高鳴りは、今も忘れられるものではありません。1個1個大切に取出した時の感激を懐かしくふり返っています。

 さて1977年から本格的に練習を開始、校内での演奏の機会も出てきました。1978年には日本ハンドベル連盟へ加入。1985年にはみのり園が日本ハンドベル連盟へ加入し、長崎に新しいチームが加わりました。翌1986年8月、第2回ハンドベル世界大会が静岡市で開催され、終了後大半のチームが長崎へ移動し、活水中学・高校のチャペルに於いて「ハンドベル世界大会長崎コンサート」が開催されました。イギリス・アメリカそして北から南までの日本のチームに、みのり園・活水中・高チームも加わりました。みのり園の演奏に参加者のすべてが感動し、外国チームの指導者の方から「長崎には日本の宝」「いや世界の宝がある」とまで言っていただきました。

 ハンドベルを奏で続けて30年。そこには、たくさんの出会いと感動がありました。そして、少しずつ確実にハンドベルを愛好する人達が増えていきました。

 その後、一般市民の人々にもハンドベルを鳴らして貰い、長崎に「平和の鐘」をひびかせようと9つのロータリークラブの皆様のご支援のお蔭で、4セット(5、4、3オクターブ)のハンドベル、及びクワイヤチャイム(4オクターブ)、計5セットが購入され、長崎へ寄贈、また長崎ブリックホールの完成を待って、長崎市民へ向けてのハンドベル教室の開設を準備。1999年ハンドベル教室開講。現在では9年目となり、1期生から9期生までの皆さんが活動しています。

 ハンドベル教室の受講生は2年間で修了なのですが、終了後も殆どの皆さんが先輩たちのチームに入ったり、独立してチームを結成したりして活動を続けています。天使の音といわれる美しい音にまず心を奪われ、ベル活動を止められない。心を一つにしてチーム全員で曲を作り上げていく楽しみや喜び、演奏できた時の感動が忘れられない。チームワークのより生まれた友情の絆も強くなり、生涯学習とも言える生甲斐としての音楽活動≠ずっと続けたい。このような「ハンドベル 大好き!」というリンガーが大勢生まれ育っています。

 また、さらなるレベル向上を目的として連盟本部の指導者による長崎での講習会を実施しています。

  【講師】
     大塚安宏氏(1998年)
     吉田年一氏(2001年)
     安楽昇氏(2003年・2005年)

 長崎ハンドベルコミュニティのメンバーにとっては、多くのことが学べる貴重な体験の講習会でありました。今後もこのような勉強の機会をできるだけつくりたいと思います。そしてこれからは全国から更に世界に目を向け、学び、交流し、ハンドベルの普及発展のため活躍する人が育っていきますようにと心から願っております。

 長崎に於ける30年のハンドベル活動の歩みを暖かく見守り、ご支援、ご厚情を賜りました皆々様に心からの感謝を申し上げ、これからのハンドベル活動がますます充実し、発展していきますように、長崎にふさわしい「平和の音」として美しいハンドベルの音が鳴りわたりますように、と祈念いたします。

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